2024年に9年ぶりにドラマへ出演し話題になった吹石一恵さん。実は吹石一恵さんのお父さんは元プロ野球選手なのだとか!
今回は吹石一恵さんの若い頃の活躍や家族構成について紹介します。
吹石一恵の若い頃の活躍は?
実は1歳の頃から芸能活動を行っていた吹石一恵さん。1997年の映画「ときめきメモリアル」の藤崎詩織役でメジャーデビューし、同映画の主題歌で歌手デビューも果たすと、1999年には「ビクター・甲子園ポスター」キャンペーンのモデルを務めました。同キャンペーンモデルは現役女子高生アイドルの登竜門と呼ばれており、当時の吹石一恵さんはアイドル的存在だったのですね。
一方で役者としても積極的に活動し、2001年には初主演映画「あしたはきっと⋯」が公開されています。
「初の女性ウルトラマン」として話題に
2003年公開の映画「ウルトラマンコスモスvsウルトラマンジャスティス」ではウルトラマンジャスティスに変身する女性、ジュリの役を演じました。女性が単独で「ウルトラマン」の名を関する巨人に変身するのはシリーズでも初めてのこととして話題になりました。
また、2005年から2007年にかけてはフジテレビ系の情報番組「スタ☆メン」で初のコメンテーターをこなしました。「世界・ふしぎ発見!」で回答者を務めることもあり、役者やアイドル以外の仕事も行っていたのですね。
「ゲゲゲの女房」で高崎映画祭最優秀主演女優賞に
役者としてはドラマよりも映画での活躍が多く、「着信アリ」「ALWAYS 続・三丁目の夕日」などの話題作にも出演しました。2010年には映画「ゲゲゲの女房」で主演を務め、第25回高崎映画祭最優秀主演女優賞に輝いています。
吹石一恵さんは他にも2006年に「雪に願うこと」「明日の記憶」「手紙」での好演が評価され、第28回横浜映画祭助演女優賞を受賞しています。更に「紀子の食卓」での好演が評価され、第10回富川国際ファンタスティック映画祭主演女優賞も受賞していますよ。
吹石一恵 INFORMATION | MAIMU 舞夢プロ|東京・大阪の芸能プロダクション
吹石一恵の家族構成は?
吹石一恵さんにはお父さんとお母さん、そして二人の弟さんがいらっしゃいます。また、吹石一恵さん自身は2015年に福山雅治さんと結婚、2016年に第一子の出産が公式に発表されています。
吹石一恵の父は吹石徳一
吹石一恵さんの父、吹石徳一さんはかつてNPBで活躍したプロ野球選手でした。高校卒業後に日本新薬へ入社、その2年後の1974年にドラフト4位指名を受け近鉄バファローズに入団しました。「3年経っても一軍に昇格できなければ実家から分家して農業に携わる」という約束を家族と交わした上での入団でしたが、1976年に無事一軍初昇格。1981年には初の規定打席到達も果たしましたよ。
現役引退後はコーチ業などを行う
主に内野のユーティリティとして遊撃手を中心にキャリア通算1020試合に出場した吹石一徳さんは、1989年のシーズンオフに近鉄球団代表から二軍守備コーチへの就任要請を受け、当初は現役を続けるつもりだったものの最終的に現役引退。以降もコーチやスカウトとして、近鉄球団が吸収合併で消滅するまで近鉄一筋を貫きました。
2005年からは楽天球団のスカウトやチーフスカウトを務め、その後日本新薬のヘッドコーチや監督なども務めました。
弟も野球をプレー
二人いる弟も高校時代に硬式野球部に所属し、一人は甲子園に出場、もう一人も社会人野球の航空自衛隊千歳でプレーしました。この通り、吹石家はスポーツ一家であり、吹石一恵さんも幼少時に空手を経験して有段者にもなっています。役者としてもスポーツウーマンの役がとても多く、それらの役柄をしっかりこなしてきたのですが、吹石一恵さん曰く運動神経自体は平均以下とのことです。
最後に
今回は吹石一恵さんの若い頃の活躍や家族構成について紹介しました。「江夏の21球」や「10.19」などの、後に語り継がれるプロ野球界の伝説的場面にも立ち会った吹石一徳さん。彼もまた一流のプロ野球選手だったのですね。